津波碑調査―明治・昭和・チリ津波と平成大津波―
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宮城県津波碑分布図(Googleマップ)
津波碑について
3.11津波以前に青森、岩手、宮城の東日本の太平洋岸の各県は、明治三陸津波(1896年)22,000人、昭和三陸津波(1933年)3000人以上の津波による犠牲者を伴う被害を受けた。明治の場合は主として死者供養、昭和の場合は津波に対する警句を刻む津浪が建てられた。戦後のチリ津波の場合も含めると、その数は300基以上になる。
平成の津波はその破壊力で過去3回の津波を遥かに上回る被害を東北太平洋海岸の各地に与えた。明治・昭和・チリ津波の津波記念碑が3.11津波後、どのような状態なのかを調査した。1980年代後半から1990年代にかけて卯花政孝氏が行った調査データに基づいて、明治・昭和の津波碑と3.11後の津波碑の写真(流失した場合は付近の情景)を、津波浸水域図の上に所在場所を落とした。今回は、宮城県の67の津波碑調査報告である。
明治三陸津波の宮城県の被害は岩手県に比べて少なく、そのため、津波記念碑も少ない。昭和三陸津波の場合には、2度の災害を受け、津波防災の意識も高まり、記念碑の数は増えた。津波碑の碑文に同じものが多いのは、朝日新聞社が集めた義援金を以て警句を刻して津波碑を建立するよう、県を通じて市町村に指示がなされたからである。宮城県の場合は、被害のあった63町村に対してそれぞれ208円17銭を配布、碑の高さ、厚さ、刻する警句などの見本を示して、記念碑を建立させた。しかし、碑文を読むと、なかには独自な警句を刻み、津波への心構えを諭すものもみられる。
津波碑の位置については、卯花政孝氏の被災前調査データを参考にして場所を特定し、各石碑の位置データを作成した。津波浸水域はWeb(東日本大震災津波現地踏査報告 http://www.jsgi-map.org/tsunami/earth.html)を利用した。津波碑には卯花政孝氏による分類名(地名‐番号)を用い、被災後の津波碑の状態を流失=赤、倒壊=黄、健在=青と分類してそれぞれ色分けした。 3.11以前の津波碑写真は卯花政孝氏撮影のデータの提供による。
(北原糸子・大邑潤三)
参考文献
宮城県『宮城県海嘯誌』(1903年)
宮城県『宮城県昭和震嘯誌』(1935年)
卯花政孝「三陸沿岸の津波石碑-その1.釜石地区-」 『津波工学研究報告』8号、東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター(1991年)
卯花政孝「三陸沿岸の津波石碑-その2.三陸地区-・-その3.大船渡地区-・-その4.陸前高田地区-」 『津波工学研究報告』9号、東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター(1992年)
北原糸子「東北三県における津波碑」 『津波工学研究報告』18号、東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター(2001年)
北原糸子「蘇らせよう、津波碑の教訓」 『建築雑誌』11月号、社団法人日本建築学会(2011年)
北原糸子・卯花政孝・大邑潤三「津波碑は生き続けているか ―宮城県津波碑調査報告」 『災害復興研究』4号、関西学院大学災害復興制度研究所(2012年)
本文リンク(PDF)
更新情報
2012年8月30日 論文リンク追加
2012年7月24日 文章、参考文献等一部修正
2012年7月17日 一般公開
2012年7月9日 テストページ作成
研究助成
本津波碑地図の作成にあたっては、以下の研究助成を受けた。
関西学院大学災害復興制度研究所調査研究「津波碑調査―明治・昭和・チリ津波と平成大津波ー」(2011年度)
立命館大学東日本大震災に関わる研究推進プログラム「参加型地図作成活動による復興まちづくりの支援手法の構築」(研究代表者 瀬戸寿一、2012年度)
立命館大学東日本大震災に関わる研究推進プログラム「GISを用いた文化財保護の意思決定を支援するデータベースの構築と活用に関する研究」(研究代表者 中谷友樹、2012年度)